<コラム>ちょっと昔の中国の話=彼らは「元寇を知らない子どもたち」だった



再び、私が中国に留学していた1980年代後半から90年代前半の話です。とは言っても今回の「主役」はモンゴル人です。

▼ソ連の忠実な衛星国だったモンゴル、中ソ対立で内モンゴルとも「敵」として対峙
モンゴル民族の居住地域は、おおむね3つの国に分かれています。モンゴル国(旧:モンゴル人民共和国)、内モンゴル自治区を中心とする中国、ロシア連邦の一部であるブリヤート共和国です。人口はモンゴル国が300万人程度、中国国内のモンゴル族の戸籍上の人口は600万人程度、ブリヤート共和国の人口は100万人程度です。

なお、ブリヤート人とはモンゴル民族の一派で、歴史的にはブリヤート・モンゴルと呼ばれていたのですが、ソ連がモンゴルと切り離すために民族名から「モンゴル」の部分を削除しました。

モンゴル(モンゴル人民共和国)は旧ソ連の忠実な衛星国でした。したがって、1960年代に中ソ対立が激化してからはモンゴルも中国と敵対するようになりました。中国国内のモンゴル族は、同じ民族ではあっても「敵」とみなしました。

私の脳裏には、ソ連のゴルバチョフ大統領が1989年に訪中して中ソ関係の正常化が実現した時のモンゴル人、そして内モンゴル出身のモンゴル族の嬉しそうな表情が焼き付いています。それまで約30年間にもわたり、戦争が発生して同一民族が殺し合わねばならない可能性がゼロとは言えなかったのです。相互交流も厳しく制限されていました。和解への道が決定的になり、彼らは本当に心から喜んでいたのです。

▼モンゴル人留学生が「感動した」と話したノモンハン事件50周年の平和式典
さて、その話とは別に、ウランバートルから来たモンゴル人留学生が私に突然、「平和は大切だ」と話しはじめたことがあります。何でも、彼が北京に来るしばらく前にモンゴルで「ハルハ河戦争」50周年の平和式典があり、その様子がモンゴル全国にテレビ中継されたとのことでした。

「ハルハ河戦争」とは日本でいうノモンハン事件のことです。当時の満洲国とモンゴルの小さな国境争いが1939年に大規模な戦闘に発展。日本・満洲国の連合軍がソ連・モンゴル軍の連合軍と戦いました。

このノモンハン事件は長期にわたって「日本側の完敗」とされていました。日本・満洲国軍の死者が少なくとも1万8000人程度に達していたのに対して、ソ連・モンゴル側の死傷者はわずか数百人と発表されていたからです。しかしソ連崩壊後に明らかになった資料により、ソ連・モンゴル側も死傷者数が1万9000人から多い場合には2万5000人以上だったと判明してきました。歴史学者の宮脇淳子氏は著書の「満洲国の真実」で、ノモンハン事件を「(日本側、ソ連側の)両者とも敗北」と評しています。

私が留学していた時期にはソ連やモンゴル側の本当の損害はまだ明らかにされていませんでしたが、モンゴル側にも大きな犠牲が出ていたとすれば、国を挙げての平和式典を行ったことも、よく理解できます。

ということで、話を平和記念式典に戻しましょう。日本からの出席者もあり、改めて平和と不戦の誓いがなされたそうです。モンゴル人留学生は「本当に感動した」と繰り返しました。

▼モンゴル人「昔は世界中でやったから、個別の事例はよく知らない」
と、彼が突然、「日本の歴史はどのぐらい長いのだ?」と尋ねてきました。私は「確実なのは1500年ぐらい」と答えました。彼は「モンゴルが成立したのは13世紀だから日本より短いが、それでも歴史が長い国だと思う」と言い出しました。異存はありません。

彼のその次のセリフが妙でした。「日本もモンゴルも歴史が長い。しかし戦争をしたのは1度だけ。これは十分に、平和な関係を続けてきたことを示している」と言い出した。



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