チョ・セホが「改憲」を知らなかった理由 – レイバーネット日本



[ワーカーズ・イシュー1]改憲の名前をつけて何日か食べた(1)

キム・ハンジュ、ユン・ジヨン記者 2018.01.29 14:24

「あれが…改憲だというんです?」芸能番組「無限挑戦」の一場面。
議員立法の過程を「改憲」かと尋ねたチョ・セホの「改憲ドリップ」が頭から離れないこの頃だ。
誰かは彼の明るい質問に大笑いしたかも知れないが、別の誰かは「どういう話か」と戸惑うかも知れない。
実際にA活動家は「ワーカーズ」の会議で改憲問題を取材した某記者の苦情を伝えた。
市民インタビューをしたくても、改憲について知っている市民がいなくて困りきったということだ。

そう言おうと言うまいと、マスコミ各社は新年早々「2018年3大政治問題」、
「戌年最大の話題改憲」、「国民が望む改憲」等の問題を吐き出した。
大きな報道機関は世論調査機関に依頼して、
改憲に対する市民の考えを報道することもした。
韓国社会世論研究所の1月15日の世論調査の発表によれば、
国民の83.3%が「改憲が国家と国民の人生に重要だ」という立場を持っているという。
それこそ「熱狂的」だ。
本当に多くの国民が改憲を心待ちにしているのだろうか。
「ワーカーズ」はまったく信じられない改憲の熱気を直接取材してみることにした。

天然洞の改憲世論

今年のはじめ、MBCニュースデスクは元インターン記者を改憲関連の「市民インタビュー」に登場させて、「報道操作」と袋叩きにあった。
まさにMBCは客観的なインタビューのためには「本当の一般人」を使うべきだが慎重ではなかったという点を反省した。
それで「ワーカーズ」は慎重になることにした。
「ワーカーズ」事務室がある西大門区天然洞一帯で「本当の天然洞市民」と会ってみようと決心した。

最初のインタビューは、ある坂道で会った70代の女性だった。
身元を明らかにした後、「改憲に賛成するか」と尋ねると
「今何も考えていない」と断言した。
ひと言だけお願いしたいと追いかけて行くと
「勇気のある果敢な人に聞け、私は知らない」と手で遮った。
「では改憲に必ず入れたい内容でも話してくれ」と食い下がった。
結局彼女は「記者なら記者らしくすべきだ。
なぜ私にインタビューするか」と怒りながら行ってしまった。

今回は丘を上がっている70代の男性に「改憲に対してどう思うか」と話しかけた。
彼は「それがどういう話か」と問い返してきた。
政府が憲法改正を推進中だが、かくかくしかじか色々な状況だと説明をならべた。
彼は「もう頭がおかしくなりそうだ、よくわからない」という言葉を残して行ってしまった。
アパート団地で会った50代の女性も、教会の前で会った70代の男性もみんな
「よくわからない」というだけだった。

10代、20代に期待をかける

インタビューする人の年齢を大幅に下げようと決心した。
冬休みで空っぽのD中学校の校庭の前でやっと10代の女性に会うことができた。
だが彼女も「(改憲は)よく知らない」と慎ましい微笑を浮かべて消えた。
今回は路地で遊んでいる小学生を捕まえて
「改憲について知っているか」と尋ねた。
彼らは「文在寅(ムン・ジェイン)は知っているが、改憲は知らない」とした。

最後の希望は大学だった。
K大のキャンパスを散策する20代の男性に
「現在の改憲議論についてどのような立場か」と尋ねた。
唇を動かしていた彼がいよいよ口を開いて回答を始めた。
その上、言うことが多いかのようにとても長く。
彼は「現在の大統領制を変えて、何の意味があるのかわからない」とし
「今の改憲局面は、国会に力を付与することだが、
韓国の国会は内閣制を受け入れる水準ではない」と力説した。
どんな言葉でも、ただ感謝して書き取るだけだった。

賃貸アパートの前で

この勢いで、賃貸アパートへと向かった。
アパートのベンチで笑いの花を咲かせている三人の老人に慎重に近付いて「改憲」について尋ねた。
「ブーブーがずっと食べてみたか?」ある老人がすぐ記者に刃を向けた。
「あ…いいえ」。
最近の若い者は困難を知らないという長い叱責の末に、彼が出した「改憲」の結論は
「大統領は大統領の仕事をきちんとすれば良く、
国民は国民の義務を果たせばよい」という多少はっきりしないことだった。

隣りにいた別の老人は、改憲も、権力構造改編も、何の話なのかまったく知らないが
「私たちののような基礎生活受給者に対する支援が多くなれば良い」という期待を示した。
インタビュー場所の周囲をうろうろしていた警備員は
「改憲が何の改憲か」と声を高めながら近付いてきた。
そして彼は老人たちがみんな舌を打ちながら席をはずすまで、
タルムード精神の重要性とジンギスカンとモンゴル族の歴史、
そして朴正煕(パク・チョンヒ)の業績と全斗煥(チョン・ドゥファン)の再評価を要求する政治演説をならべた。

アンコのない改憲の歴史

十分に理解できてあまりある。
果たして「憲法改正」で私の人生が変わると考える国民がどれほどいるのだろうか。
政界がいくら激しく戦っても、
言論がいくら世論集めをしても、「別の世界の話」でしかない。
これはこれまでの歴史が証明するところだ。

大韓民国では1948年の憲法制定以後、合計9回の改憲が行われた。
九回とも「権力構造改編」が核心だった。
「改憲」は執権長期化のための妙手に通じた。
独裁政権下で改憲が頻繁になされたのもこのためだ。
実際に李承晩(イ・スンマン)は2回、朴正煕(パク・チョンヒ)は3回、
そして全斗煥(チョン・ドゥファン)は1回の改憲を実施した。
しかし通常「下からの改憲」と評価される改憲はたった2回。
1960年の4.19革命以後、国会主導の議員内閣制改憲(3次)、
そして1987年6月抗争による大統領直選制改憲(9次)だ。
だが残念なことは、2回の「下からの改憲」さえ権力構造改編が核心だったという点だ。

憲法には大統領の任期や権力構造の形態だけが明示されているのではない。
国民の基本権を中心とする権利保障は、憲法の最大の基本原理の一つだ。
そもそも1948年の制憲憲法では基本権は合計23の条項から始まった。
9回の改憲の過程で、これらの基本権条項にも邪悪な妖気がとりついた。
制憲憲法に明示された基本権から抜けた条項はただ一つ。
「労働者の利益分配均霑権」だ。
「利益均霑権」とは、労働者たちが労働力の提供に対する賃金だけでなく、
企業の利益の一部を分配される権利を意味する。
制憲憲法第18条には「私企業において勤労者は法律の定めにより、
利益の分配に均霑する権利がある」と明示した。
「利益均霑権」条項を削除したのは他でもない朴正煕政権だった。

制憲憲法以後「基本権」条項に邪悪な妖気がとりつくまでには12年かかった。
李承晩が再選のために試みた1952年抜粋改憲(1次改憲)と、
初代大統領に限って兼任制限を廃止した四捨五入改憲(2次改憲)では、基本権は論外であった。
1960年に李承晩が4.19革命で退き、
国会主導でなされた3次改憲では、いくつかの基本権条項が新設、改正された。
居住移転の自由と通信の秘密保障条項が一部強化され、
公務員の政治的中立性保障も明示された。
自由と権利保障強化と言論、出版、集会、結社に対する権利も強化された。
ただしこの時、憲法裁判所が政党解散を命令できるという条項が追加されたが、
これは現在も維持されており、2014年の統合進歩党解散審判の根拠になった。

基本権、独裁政権が愛情ある宣伝道具

皮肉にも、歴代改憲で最も多くの基本権条項を追加したのは、まさに朴正煕政権だ。
「基本権強化」は独裁政権が「権力延長のための改憲」に正当性を付与する最も良い宣伝の道具であった。

実際に1962年の5次改憲では、従来は22あった基本権条項を27に増やし、
細部の条項を挿入した。
この時に追加された基本権条項は「人間の尊厳性と価値」、
「拷問を受けない権利」、
「言論、出版、集会の許可禁止」、
「教育の自主性と政治的中立性」、
「勤労者の雇用増進に対する国家の役割」、
「生活能力がない国民に対する国家の保護」だった。
労働三権も「法律の範囲内」で保障するという但書条項をなくした。

だがそれから10年後。
朴正煕政権は維新憲法で自分が作った基本権条項はもちろん、
既存の条項までも全て改悪した。
居住移転、職業選択、言論、出版、集会、結社の自由の前には
「法律によらなければ」という但書条項が付けられた。
労働三権も「法律が決める範囲」で再び取り入れた。
基本権を制限する事由には「国家安全保障」が追加され、
自由と権利の本質的な内容を侵害できないという条項もなくなった。
身体の自由を侵害された時、裁判所に救済を請求する権利と、
拷問などによる陳述が唯一の証拠である場合は有罪の証拠にできないという条項も痕跡をなくした。
憲法前文に「自由民主的」という単語が明示されたのもこの時からだ。

「人権蹂躙」では二番目というには佗びしい全斗煥政権も、
憲法における基本権を強化した。
もちろん「7年単任・間選大統領制改憲」の正当性を宣伝するための装置であった。
全斗煥は1980年の改憲で、維新憲法の毒素条項をほとんど廃止した。
各基本権を法律として制限するという但書条項もほとんど削除した。
「虐殺者」と呼ばれる彼が、憲法に「幸福追及権」、「無罪推定の原則」をはじめ
「勤労条件での人間の尊厳性保障」等を明示したという事実はかなり
「笑えて悲しい」事だ。

そして、下からの改憲があったか

1987年の6月抗争による9次改憲。
これを通じて、あれほど要求した「大統領直選制」を争奪したが、
基本権だけは朴正煕全斗煥政権の
大きな枠をまったく越えられなかった。
当時、制定、改正された基本権条項は、
言論、出版、集会許可制の廃止と刑事被害者の裁判陳述権、
大学の自律性、最低賃金制、女性労働の差別禁止、環境権などだった。

最後の9次改憲から約30年間、政権はいつも改憲の論争を起こした。
改憲の話題はすべて大統領や大統領選挙有力走者の口から始まった。
争点はすべて権力構造改編だった。
実際に1990年の盧泰愚(ノ・テウ)、金泳三(キム・ヨンサム)、金鍾泌(キム・ジョンピル)の3党合同の基底には、
内閣制改憲の密室合意があった。
1997年、金大中(キム・デジュン)と金鍾泌(キム・ジョンピル)の「DJP連合」の条件も、内閣制改憲だった。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権はレイムダックから脱出するための政局打開用として「改憲」カードを切った。
盧武鉉元大統領は、任期を2年残す2007年1月、
4年重任制の「ワンポイント改憲」を提案した。
当時、韓国社会世論研究所の4年重任制改憲の世論調査は賛成30%、反対67%であった。

盧武鉉政権のワンポイント改憲をについて、
朴槿恵(パク・クネ)前大統領は「本当に悪い大統領」だと批判し、
李明博(イ・ミョンバク)元大統領も
「改憲の議論で時間を浪費してはいけない」と叱責した。
だが彼らも大統領任期の末になると、ぞろぞろと改憲カードを持ち出した。
李明博元大統領は2010年に分権型権力構造改憲を試みて、
4大河川事業で悪化した世論を沈めようとし、
朴槿恵前大統領は2016年10月に崔順実(チェ・スンシル)事態という権力型不正ゲートを突破するため、
4年重任制改憲問題を投げかけた。
朴前大統領が話題にした改憲問題は、1年3か月経った今も現在進行形だ。
そして改憲問題が流れてくる所は相変らず「権力の形態」をめぐる政争の現場だ。〈ワーカーズ39号〉

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)

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